ウジェーヌ・アジェ 心地よい空間へ
感性、 ではない
ギャラリーへ
ムードを選ぶだけで、空間がそれに応えます。光は冷たさや温もりを帯び、空気の流れが変わり、その感情を宿した作品だけが暗闇の中から浮かび上がります。それ以外のすべては、影の中へと退いていくのです。
ウジェーヌ・アジェ
古きパリの記録者:ウジェーヌ・アジェの生涯と遺産 1857年、フランスのリブールヌという静かな町にジャン=ウジェーヌ=オーギュスト・アジェは生を受けた。後に「古きパリ」の代名詞となることになるこの写真家は、喪失の影の中でその生涯を歩み始めた。わずか7歳で両親を亡くして孤児となった幼いウジェーヌは、ボルドーの母方の祖父母によって育てられた。この幼少期の喪失体験と、おそらく芽生えていた「無常観」が、後の彼の芸術的衝動、すなわち、消えゆこうとしている世界を記録せずにはいられないという強迫的なまでの情熱に、密かに影響を与えたのかもしれない。当初、彼の志は写真とは程遠いものだった。アジェは俳優を志して演劇学校に入学したが、兵役によってその道は中断されることとなる。その後、巡業一座での舞台俳優への挑戦も、声帯のトラブルによって断念せざるを得なくなり、彼は自らの進むべき道を再考することになった。こうした挫折を経て、1887年頃、彼は当時黎明期にあった写真芸術へと目を向ける。当初は
、画家や職人たちのための資料として、美しい風景や情景を撮影し、販売することからその活動は始まったのである。 体系的な眼差し:消えゆくパリの記録 1897年頃、アジェの生涯における真の仕事が幕を開ける決定的な転換点が訪れた。彼は「古きパリ」の体系的な記録に着手したのである。このプロジェクトは、その後30年近くにわたって彼を虜にし続けることとなった。それは単なる絵画的な観光記録ではなかった。急速な近代化の波にさらされる都市の、物理的な構造そのものを保存したいという切実な願いに突き動かされた、ほとんど人類学的な試みであった。大型の木製蛇腹カメラを手にし、ガラス乾板(18x24cm)を駆使しながら、アジェはパリの歴史的な中心部を形作る細い路地、古めかしい中庭、壮麗な宮殿、そして活気あふれる街の営みを緻密に記録していった。彼にとって芸術的な装飾や劇的な構図は重要ではなかった。そのアプローチは根本的にドキュメンタリー的であり、客観的な再現を追求するものだった。1906年以降…